徒然なるままに


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真田○時代考証の平山先生講演会のまとめ

23、24日の二日間でしたが上田に行って本当によかったです。
真田太平記館で3時間近く居座り号泣し、武者行列で草刈さんの昌幸を拝めて大興奮でした。
鉄砲演舞は去年松本城に行ったときに見たし、平山先生の講演会を優先しました。来年はきっと講演会ないだろうし。
福山雅治似の無駄にかっこいい声で平山先生の軽妙な大河ドラマ作成のこぼれ話や歴史トーク面白かったですよ~。
そんなわけで、ざっとメモした講演会の内容を箇条書きにまとめてみました。
あいまいな記憶なので間違っているところがあると思いますが、あしからず

・平山先生「真田○では僕と黒田さんと丸島さんの三人衆で時代考証を担当しています。」
→「時代考証三人衆って、なんかかっこいいですね。三好三人衆みたいで」
→「たしかに・・・いや三好でしょ?かっこいいかな?」
→「じゃあ美濃三人衆は・・・」
→「それ全員調略されてるし(笑)
こんな感じでオープニングトークからすでに笑いに包まれる会場。

・平山先生が最初に作成に関わった大河ドラマは「武田信玄」 24歳で大学院生だったそうな。主に資料の雑用係。
・時代考証って何をするの?→脚本をチェックし、時代に沿わないものを確認する。
・武田信玄のときは脚本家とご飯を食べながら脚本の打ち合わせをしていた。

真田○では、武田家をとても大切に描きたかった。
・勝頼の評価が一般では(バカ息子と)低いのが悔しく、そうではないことを伝えたかった。
・平山先生「みなさん、真田○の武田家どうでしたか?勝頼の世界が変わったと思いませんか?役者さんも素晴らしくて、感動しませんでしたか?」
→力強く頷く会場の人々。私も首が折れんばかりに縦に振りました。
・評価がぐんと急上昇した勝頼。次の大河は勝頼を狙いたい、と黒田先生とお話したそう。

そして北条家
・高嶋さんの怪演が炸裂する氏政で、世間のバカ殿認識が改まったのではないか。
・黒田先生は北条家を大河にしたい。
→「五代もやったら一年じゃ終わらないですよ・・・」
→「じゃあ二年やればいいじゃないですか!
・氏政は教養人の面が強い。早々に家督を息子に譲って隠居したため、表舞台での動きが大人しい。
・「北条って戦下手ですよね。そこで負けるか?ってとこで負けるし。」
→「家康に対しても、そこで和睦する?って感じでしたね(笑」

今年の大河は二代目をプッシュ
・偉大な父を越えようと努力し、けど越えられない息子の苦悩をクローズアップしたい。
・昌幸の背を見て育つ兄弟。同じ背を見ているのに全く違う成長をし、その違いに苦悩する信幸と信繁を表現したい。

家康キュートだけど、最近覚醒しつつあるのが少し寂しい。

「景勝様しゃべりすぎって言われてますよ」
・昌幸に散々煮え湯を飲まされているのに、人が良過ぎる。
・そんな人がいい景勝も矢沢頼綱宛の書状では「お前の甥(昌幸)は何なんだ!?」と若干怒っている様子。

3つの大国に囲まれている真田家の存在は珍しい
・上田城の築城を家康が援助したのは、沼田城を明け渡すための交換条件。
・でも昌幸は沼田を渡さなかったため、怒った家康は室賀を刺客として送る。
・室賀の「黙れ小童!」はやはり流行語大賞を狙ってるらしい。
・実は室賀のお墓は見つかっていない。
→平山先生「僕もあちこち聞いて回ってるんですけど見つからなくて・・・もし見つけたら教えてください」
・昌幸被害者の会は春日殿役の前川さんが発足
→堺さん「それ、僕も入りたいです!」
・平山先生「大河の真田はならず者の一族って言われますけど、史実はもっとえげつないですから
・おこうさんの本名は伝わっていない
→信幸とおこうはいとこ同士の結婚。
→おこうは信綱の娘であり、真田家嫡流の血を引いている。信綱には息子もいたが、結局昌幸が真田家を簒奪するような形で継いだため、信幸に嫡流の娘と結婚させることで真田家を継ぐことを認めてもらいたかった。ここら辺は信幸のwikiにも記載があった。
・最初の家系図では信之の息子、信吉は清音院殿(おこう)の息子と記されるも、時代が下るにつれ母の表記が家女→小松姫と改ざんされる。家系図の改ざんはざらなので、専門家はあてにしていない。家系図はあくまで参考資料。
・黒田先生が信之を調べるが諦めてしまう。
→寿命が長過ぎて資料がない。
信之の寿命が異常
→この時代に信之に対抗できる長生きは北条幻庵ぐらい
・資料は偶然の産物。

昌幸考察
・3つの大国に囲まれている真田家を生き残らせた昌幸は、やはり稀代の才を持っている。
・上杉、徳川、北条の緩衝地にある真田家は、どの勢力にとっても放っては置けない存在だった。
・信玄をとても尊敬していた。根拠は兄を弔うために建立した信綱寺(しんこうじ)に信玄の菩提を持っていこうとした記録から。
→信玄の菩提を真田領へ持っていくことで、尊敬する信玄の墓守をしたかった&旧武田家臣を手懐ける目論見もあったとか。
・昌幸は噂を流すのが上手い。
→徳川軍に与した旧武田家臣を調略するため「武田竜芳が上杉家に匿われている」と噂を流す。
→竜芳は信玄の息子で、噂を流した当時はすでに亡くなっていたが、上杉と敵対中の徳川軍に与する旧武田家臣はこの流言に動揺する。敵対相手のところに旧主の息子がいては戦いにくい。
・勝頼を本当に迎え入れる気はあったのか?
→甲陽軍艦には記載があるが、武田家が滅亡した頃に書かれた甲乱記には記載なし。

武田家滅亡と人質
・勝頼が天目山で亡くなる前に国衆や家臣の人質を解放したのは事実。
・人質から解放された信繁、信幸たちが岩櫃城へ戻るため、十石峠か余地峠のどちらを通ったか悩む。
・しかし碓氷峠ルートに決まり、軽井沢で一泊させた。
→視聴者から「軽井沢なんて当時にはない」と苦情
→平山先生「昔からあるわバーカ!資料見ろ!
→当時は『かるいさわ』という呼称だった。

苦情や批判に対して
・平山先生「史実と違う、て批判もありますけど、実際史実どおりにドラマを撮れってなったら何にも作れませんよ。あれも駄目、これも駄目ってなりますから」
・平山先生「まず演技での歩き方、所作、ぜーんぶ駄目。昔の人は手と足を一緒に出して歩いていた。明治時代の軍隊教育で手足逆に動かす今の歩き方になったんですよ」
→手足を一緒に出す歩き方は体重移動で体にかかる負荷が少なく、非常に理にかなった歩き方。見た目は変だけど。

信繁と幸村
・現存する信繁の手紙で『幸村』と名乗っているものは、江戸時代に作られた偽物である。
・当時の記録ではやはり『幸村』と名乗っていたものが見つからず、確認ができない。
・慶長二十年五月七日(大阪夏の陣において信繁没日)に信繁が書いたとされる手紙が出てきていない。
→もしかしたら、その手紙に『幸村』と書かれている可能性は無きにしも非ず?
・娘すへの夫に宛てた書状が泣ける。父として、娘に対する愛情が垣間見える。
→「私たち父子は無事に過ごしています。私は篭城したからには決死の覚悟であり、もはやこの世であってお話しすることもないでしょう。しかしすへのことは、あなたにとって心に叶わぬことがあったとしても、お見捨てなきようお頼み申し上げる」平山先生の真田一族より抜粋
・正室の竹林院は子供を一人連れて大阪城から脱出し、九度山へ逃れるも捕まってしまう。
→当時から九度山の人々は信繁に友好的だったので、匿ってもらえるだろうと竹林院は判断し逃げ込んだ。

堀田作兵衛について
・信繁が大阪へ入城すると聞きつけ、作兵衛は身重の妻や家族を捨てて大阪城に入り戦死する。
・信之は大阪方に走った家臣の遺族に対し、上田へ出頭するよう命令を出す。
→おそらく遺族は処刑された。
→出頭命令を遺族に指示したのは出浦殿。
・出浦殿は岩櫃城において、信之の家臣として長く城代を務めていた。隠居願いも信之に断られている。
・豊臣が滅びた後、作兵衛の妻は男の子を出産する。
→作兵衛の妻は乳飲み子の男の子を知り合いに預け、上田へ出頭し処刑される
→しかし大阪へ走った家臣の遺族探しの厳しい手から逃れられず、作兵衛の息子が見つかってしまう。
→作兵衛の息子を養子として育てていた女性が「この子は大阪の陣が終わった後に生まれました。全く関わりなどありません」と子供の身の潔白を主張した。
→その潔い訴えにより、作兵衛の息子は処刑を免れる。
→真田家が松代に移封された際、作兵衛の息子は松代で信之に仕えることになる。

忍者について
・当時は忍者と言う呼び名ではなく、カマリやすっぱと呼ばれていた。
→現代の特殊部隊のような働きを担っていた。グリーンベレー的なものかな。

真田家の山岳信仰
・昌幸の部屋に掲げられている「白山大権現」は真田家の守り神
→吾妻山信仰から起因している。
・神川は元は『かか川』と呼ばれていたが、真田の町に流れる重要な水源であるため、かか川→神の川→神川となった。
・真田家は山岳信仰であった。そのため、九度山の人々にも好かれたのかもしれない。

信繁の実態
・信繁の記録はあまりない。資料でも上杉に人質にされるところからしか確認ができない。
→記録がないおかげで三谷ワールド全開で描ける。記録がないのは、ドラマ的には便利。
・ドラマのストーリー上、どうしても秀吉のそばに信繁を置いておきたい。
→膨大な資料の中から、秀吉の側にいた記録がないか探すことに。
→朝鮮出兵の際の記録に、秀吉の馬廻り衆に所属されている記載を発見。
→これで堂々と信繁を大阪に置いておけるぞ、とNHK製作側も大喜び。
・山手殿が人質として大阪に来ると、信繁は人質お役御免になり秀吉の直臣になる。

国衆から見た戦国時代
・現代の感覚は江戸時代に作られた倫理観が非常に強い。
→忠臣は二君に仕えず、な目線でどうしても見てしまう。
・戦国時代の国衆は独立性を維持するために大名へ仕えている。
→国衆が他所の大名へ鞍替えすることを『裏切った』というのは大名目線。
・国衆が生き残るためにより強い大名へ頼るのは、つまり守ってくれる力がないお前が悪いということ。

戦国時代の百姓
・中世の百姓は兵農分離されておらず、みんな刀を差している。
・当時の百姓はみんな刀の扱いが上手。
・自分たちの身は自分たちで守る。
・黒澤明監督の七人の侍に出てくる丸腰の百姓はありえない。
→黒澤明監督が作り上げた『非力な百姓』というイメージを払拭するため、今年の大河はいろいろ試みている。
・平山先生「僕たちが戦国時代にタイムスリップしたら、百姓にボッコボコにされて殺されますよ

飢饉と略奪と軍隊と
・戦国時代は寒冷期が長く、飢饉が多かった。
・作物が育ちにくいため、他国を侵略し物資を奪うようになる。
→軍隊に入ればご飯が食べられる。だから百姓たちも軍隊に入る。
・甲陽軍艦でも略奪が認められている。
・秀吉は乱取(略奪)を止めるよう命令。
乱取は東国の習いにて!と驚きの反論。だから東夷って昔から言われるんだよ・・・

上杉謙信はとんでもない野郎
・農繁期になると関東出兵し、米や麦を刈り取っていく。
・老若男女を掻っ攫い、人身売買を行う。
・北条は四公六民という年貢率の低さで善政を敷いているのに、上杉軍が荒らしてきて涙目。
結論→上杉の何が義の将だよ!

依田信蕃という律義者
・真田○に出したかったけど、どうしても出せなかった武将が依田信蕃。
・天正壬午の乱で昌幸と活躍時期がかぶってしまうため、泣く泣く出すことは叶わず。
・甲州征伐で徳川軍に攻められるが、最後まで降伏しなかった。
→後に穴雪に勝頼が自害したことを告げられ、そこでようやく開城。
・是非再検証してほしい人物。

今後真田○に登場するかもしれない人物は?
・北条氏邦

うへー!長くなりましたが、以上が私の書きとめたメモと記憶を掘り起こしたまとめです。
書き損ねたこともたくさんあるのが悔やまれる。
講演会ってこんなに面白い話が聞けるとは思わなかった。
次回また平山先生のお話が聞ける機会があったら行きたいなぁ。
  1. 2016/04/25(月)|
  2. 歴史物
  3. | コメント:3
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コメント

『真田丸』が好きで平山先生の本も2冊ほど読みましたが、生で講演が聞けてうらやましいです。講演会まとめ、書いてくださってありがとうございます。ワクワクしながら読みました。
  1. 2016/04/27(水) 02:37:24 |
  2. URL |
  3. mm #UD9il10g
  4. [ 編集]

Re: タイトルなし

> 『真田丸』が好きで平山先生の本も2冊ほど読みましたが、生で講演が聞けてうらやましいです。講演会まとめ、書いてくださってありがとうございます。ワクワクしながら読みました。

長文で読みにくいところも多々あったと思いますが、ご覧くださってありがとうございます。平山先生がとてもお話し上手なので、講演会に参加できて本当に幸せでした~。
  1. 2016/04/28(木) 15:49:43 |
  2. URL |
  3. ときつ屋 #-
  4. [ 編集]

講演会の様子、有難うございます! 平山先生の本は持っていますが、講演会は臨場感があって良いですね。
  1. 2016/05/15(日) 01:00:33 |
  2. URL |
  3. mm #UD9il10g
  4. [ 編集]

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鎌倉後期~南北朝初期を捏造創作し、版権物(主に無双シリーズ)の二次創作を取り扱っており、かつ女性向けの嗜好となっております。
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